MICRONESIA NEWS

青年海外協力隊として2018年6月27日~2020年3月20日の期間、ミクロネシアで活動を行っています。

冬休み任国外旅行、イバイとマジュロへ

「パラカップマーウ!」(ポンペイ語の新年を祝うことば)

 

去年の年末にマーシャル諸島共和国というミクロネシア連邦のお隣の国に旅行に行ってきました。今回の旅の目的は、協力隊の友人に会うことと、文化の違いを体験することです。マーシャル諸島ミクロネシア連邦の右隣に位置する国で、今回はイバイ島、マジュロ島を訪れました。

 

最初に訪れたイバイ島はクワジェリン空港から船に乗って20分ほどのところにある島です。長さ1.5km、幅200mの細長く小さい島に1万2000人もの人々が暮らしています。太平洋の中でも高い人口密度で、狭い場所に密集して家が建てられています。土地が狭く、また山もないために農業や産業はできません。国益のほとんどはアメリカからの援助によってまかなわれています。

それでもイバイ島に人が集まるのは、クワジェリンにある米軍基地での仕事があるからです。クワジェリンもマーシャル諸島共和国の土地ですが、アメリカが土地を借りて軍事基地として使用しています。基地内にはアメリカ人居住区があり、整備された道路、きれいな家、なんと映画館やボーリング場もあります。軍事基地の一部のため撮影は禁じられているので写真を載せることはできませんが、まるでリゾート地のような光景が広がっていました。空港や基地にある施設で働く人がイバイ島に多くいます。(クワジェリンには米軍関係者しか住めません。)

 

小学校の校舎

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イバイの町並み

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トタン屋根の家が密集して建っていました。

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密集した住居の間にある通路

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イバイ島の港、フェリーでクワジェリンと行き来します。

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イバイのクリスマス

24、25日にイバイを訪れたので、クリスマスで盛り上がる町を見ることができました。マーシャルではビートダンスという踊りが有名で子どもから大人まで足でステップを踏んで踊ります。地域ごとに分けられたチームがいくつもあり、そのチームによって音楽や踊りはまったく違います。私の友人も現地のチームで踊っていました。11月から練習を初めて、12月の本番まで毎日のように練習を行います。ビートダンスはイバイの人にとって誇りであり、なくてはならない伝統行事だそうです。

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またイバイにはフィリピンからの労働者も多くいます。ほとんどは医療関係者でその他にも美容院で働いている方がいました。知り合ったフィリピンの方はとても優しく、クリスマスパーティーにも招待してくれました。異国で生活する苦労を知っている方の優しさはいつも身に沁みます。

協力隊の友人はイバイにただ一つある病院で栄養士として働いています。糖尿病や肥満が多いイバイの人へ正しい栄養の知識を教えることや、病院食の改善に取り組んでいました。

フィリピンの方のクリスマスパーティー

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友人の活動先、イバイ病院

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マーシャル諸島共和国の首都、マジュロ

その後イバイを離れてマジュロへと向かいます。マジュロマーシャル諸島の首都で、一番多くの人が集まる場所です。マジュロの海はサンゴが有名で、山が連なるようにサンゴが群生しています。町の中心にはお店や車も多く、とてもにぎわっている印象でした。友人とは離島でゆっくりと過ごし、年越しのパーティーに参加しました。路上ステージでのバンド演奏や、多くの出店も出てとても盛り上がっていました。日本の夏祭りを思い出しました。

 

 

                                               

 

海の中のサンゴとマジュロの離島

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年越しパーティー、たくさんの人でにぎわっている

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マジュロでも同じ小学校教員の協力隊の仲間が活動しています。冬休み期間のため活動先の見学はできませんでしたが、取り組んでいる活動や苦労していることをお互いに話すことができました。今回の旅では、近隣国の人々の文化や暮らしの違いを学び、人のあたたかさや自然の豊かさを感じることができました。

算数のワークショップ

11月28日に先生向けの研修を行いました。テーマは「分数を楽しく学ぶ活動」です。日本では分数は2年生から学習が始まりますが、ポンペイの小学校では4年生からの内容となっています。そこで4年生から6年生の先生方に参加してもらい、研修を行いました。

 

まずは算数の授業のはじめに

〇なぜこの単元を学ぶのか、実際の生活にどう結びついているのか子どもに話すこと

〇具体物操作(物を動かす、絵を描く)の大切さ

について話をしました。

先生も子どもたちも目的をもって楽しく学んでほしいという思いを伝えました。

 

そして、分数を学ぶ活動の紹介

分数の大きさを表すポスターをつくってもらいました。子どもたちもグループで取り組めば、1時間程度で作り終わる内容です。等しい分数を見つける活動もできます。

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 先生たちも協力して取り組んでいます。

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続いて、文章問題を表をつかって考える活動。

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日本では教科書にものっていて、分数の掛け算と割り算の公式を理解するための基本的な活動なのですが…割り算の考え方は難しかったようであまり納得してもらえず。楽しい活動と考えさせる活動。考えさせる活動はやはり先生にとっても行うのが難しいことが分かりました。わたしの英語の説明も不十分だったと反省しました。

 

月に1度か2度、ワークショップを行う機会をもらっているので、任期が終わるまで続けていきたいです。

運動会当日!

いよいよ運動会当日になりました。朝学校にいくと、子どもたちはみんなカラフルなTシャツを着て、わくわく始まるのを待っていました。

 

わたしは得点集計係で、紫色のTシャツの先生たちと協力して集計をしました。右端に座っているのが校長先生。みんな子どもの興味に夢中になって見入っていて、珍プレー好プレーに対して大きな声援を送っていました。

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〇ボール送りー1,2年生の競技、かわいいすがたに癒されました。

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〇椅子取りゲームーポンペイの椅子取りゲームは一味違います。子供たちは音楽に合わせてノリノリで踊りながら椅子の周りをまわります。日本でも踊りながらやったら楽しいかも。

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コイントスーカップにむかって小さなコインを投げ入れます。横でサポートする先生も真剣です。

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〇風船わりー椅子に座って風船を割っていきます!なかなか割れない子には先生がこっそり指を使って割ってあげていました。手前にいるのが副校長先生。

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〇じゃんけん列車ーわたしの提案で行ったじゃんけん列車。細かくルールを事前に説明担当の先生に説明したにもかかわらず、まったく違う競技になっていました笑それでもなんとかなっちゃうのがポンペイです。

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〇目隠しドリブルリレーー狭い視野でボールをとらえながらドリブルリレーをします。これがなかなか難しく、ほとんどのチームが途中でボールを見失い、リタイアしていました。

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〇つなひきー最後は綱引き!高学年のたくましい男子ががんばっていました。

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最後の結果発表では1位のチームのみならず、すべてのチームに拍手が送られ子どもたちはとても満足そうに帰っていきました。

ネッチ小学校では去年の12月に日本の支援で体育館ができ、運動会は久しぶりに行われたということです。毎学期の終わりにやりたいなぁと校長先生もとても満足気でした。やっぱり運動すること、チームで何かを目指して一つになることも大切な勉強だと思いました。

 

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運動会??

先週金曜日18日は、1学期が終了したことをお祝いする日でした。

 

COL(Celebration Of Learning)と名付けられたこの日、いつもなら終業式が開かれて成績優秀者や皆勤賞の子どもが表彰されます。これもなかなか待つのが厳しく、式の流れもスムーズでないので、ひたすら表彰される子どもの名前が呼ばれ、賞状を受け取るのを見守る(3時間~4時間)修行のような時間です。

いつも通りの終業式かと思いきや、その週の月曜日に突然職員会議が開かれ、金曜に何をするか話し合いが行われました。

そしてなんと「色別対抗ゲーム大会をしよう!」となりました。

え!?あと3日しか準備期間ないけど大丈夫??

というわたしの驚きと心配をよそに話し合いは進み、競技も決まり、私のアイディアも聞いてくれて、じゃんけん列車も競技に追加されました。

 

〇ボール送り

〇ダンスバトル

〇椅子取りゲーム

コイントス

〇風船わり

〇じゃんけん列車

〇目隠しドリブルリレー

〇つなひき

 

そして水曜日の放課後、職員に詳細が知らされ木曜日に子どもたちの色分けが行われました。体育の授業がないので体育着や紅白帽子はありません。

先生「黄色いTシャツ持っている子!?はいじゃああなたは黄色チームです!」

という流れで色分けが行われていきます。

 

わたしは得点係を任されましたが、特に打ち合わせもなく。本当にうまくいくのだろうかという気持ちで金曜日を迎えました。

次回に続きます。

チューク、ザビエル高校

 

 チューク旅行の最後の目的、ザビエル高校の見学に行きました。

その前にチュークの一番栄えている市内を観光。日が照ってすごく暑い。現地のひともうちわを日傘かわりに歩いていました。

露店にはたくさんのスカートやアイスボックスに入った魚が売られています。

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埋立地へ。ポンペイやコスラエなどの州は福岡式という日本の埋め立て方式を取り入れて、有害な汚水が土や海に流れないような工夫がされていますがチュークでは行われていません。ごみはただ積み上げられるだけです。生ごみが少ないためあまりにおいはきつくありません。

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ザビエル高校へ。

ザビエル高校はミクロネシアでも有名な優秀な学生が集まる高校です。大洋州の他の国からも入学生がやってきます。

 

市内から来るまで2時間ほどかかります。戦時中、この建物は日本軍の通信施設でした。そのため戦争当時のものもたくさん残されています。この建物もその当時から残るものです。

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例えばこの窓も防弾用で厚くつくられています。

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当時の空襲の跡が残る壁。戦争の遺産のとして今も残されています。

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体育館。天井には爆弾が落ちた後。

空襲や戦争の激しさ、被害を感じました。

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ザビエル高校の生徒が描いた壁画。日本軍の統治時代、そして戦争の様子が描かれています。当時は空襲もそうですが、飢餓で死んでいった日本兵がたくさんいたそうです。

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チューク旅行、沈船ダイビング

チュークは沈船ダイビングが世界的に有名な場所です。第二次世界大戦の時、アメリカの攻撃によって爆撃され、海に沈んだ日本の船がたくさんあります。(約40隻)

チュークは1914年から1944年まで日本の統治領でした。そのためたくさんの日本船が停泊していたのです。

 

チュークのレックダイビング(沈船ダイビング)について同期隊員がまとめた記事を参考にしています。

https://diver-online.com/archives/go_to_diving/13462?fbclid=IwAR1oUdv2NJ-v0xArfRgLydi05R7uddfW1UrERqGdaqH3WDwEoKkvavcQTRs

 

ミクロネシアに来るまで日本がこの国を統治していたことは知りませんでした。いまでも現地の人が使う日本語や、たくさんの日本食からはじまり、始めて知ることや学ぶことが今でもたくさんあります。海外に出て、自分の生まれた国について学ぶことはとても刺激的です。

今回チュークでダイビングをしようと思ったのも、日本の統治の歴史や第二次世界大戦で日本軍がこの国に残したものについて知りたかったからです。

 

先ほど沈船は約40隻ほどあると書きましたが、その中でも深度の深いところにある船は潜ることができなかったり、高度な技術が要求される船もあります。わたしは今回が初めてだったので、王道と言われる船に潜りました。

 

【平安丸】

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倉庫に入るとたくさんの砲弾、魚雷がありました。

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通路には潜望鏡が残っています。ガイドの方に

「覗くと向こう側が見えるよ」と教えてもらい、一生懸命覗いてみましたが

それはうそでした。笑

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 船外にも電話や受話器、お皿やキリンビールの瓶が並べてあります。

 

富士川丸】

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倉庫に積まれたドラム缶

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船首に残る大砲

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 零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)、操縦席に座ることができます。

 

【乾祥丸】

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エンジンルーム

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キッチンにはかまど、卵焼き用のフライパンがあります。

 

 

チューク旅行、フォノム島へ

フォノム島で離島宿泊に出かけました。チュークはジープ島が離島観光で有名ですが、同期隊員のおすすめで今回はフォノム島へ。宿泊しているブルーラグーンホテルの港から船を出して、30分ほどで島に到着しました。

 

島にはコテージがあり、3部屋泊まれる部屋があります。

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その日の夕ご飯、次の日の朝と昼は現地のスタッフの手料理を食べることができます。こわもてのチューク人の方がつくってくれる料理はどれも美味しかったです。

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しばらくゆっくりしてさぁ海で泳ごう!となったら台風のように天気が荒れてしまいました。波もすごい。しかし、あきらめずにシュノーケリング!!

 

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30分も経たずに波酔いでダウンしました。サンゴがいきいきとしている様子は見ることができました。その後はあきらめてごろごろ。

台風のような天気が続いていたため、楽しみにしていた星空撮影も少ししかできず…夜はヤドカリを一心不乱にあつめたり、サンゴを集めてライトアップして過ごしました。

 

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(友達が撮った星空)

 

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(次の日の朝食)